やべは意識が高くなりたい

意識は高く、更新頻度とクオリティと知能は低く

女子力という言葉を使う人間を辞めた生き物たち

社会人になり一人暮らしを始め、自炊を始め、弁当を作り、洗濯をして、週に1回くらい掃除をするという生活をしていると「女子力高いね」というありがたい言葉を頂くことがままある

それは人間力

衣食住という言葉がある

いしょくじゅう【衣食住】

着ることと食べることと住むこと。衣服と食物と住居。生活の基本的な要件。

出典 三省堂大辞林 第三版

2019年

令和元年

人類は女性しか生活の基本的な要素を形成できなくなっていた!

そんな訳はないと信じたい

自分の着る服を洗い、自分の食べるものを調達し、自分の住む場所を手入れするという人間どころか生物としての根底を「女子力」とかいうワードで人類の半分に責任を押し付けている浅ましさが私には理解できない

「男が働き、女が家庭を守る」

という言葉がまだ根強いのであれば1つ問いたい

社会人である前に我々は人間ではないのですか

いくら働こうとも自分が人間として欠如していることなかったことにはできないと思うのですが

衣食住を形成するという人間としての根底、人間力を失ったまま社会のために働く姿を「人生は冒険や!」という言葉をネットの歴史に刻んだ幼き革命家が見たらきっと「ロボットみたいに見えたんや」と言うに違いない

そもそも、女性が高校や大学などを経て社会で働くようになり、世界にあふれる仕事が腕力や体力をつかうようなものがメインではなくなり同じオフィスで机に座りキーボードを叩いたりしている現代の世界の仕組みの中で仮に誉め言葉として「女子力」という言葉を使っているのだとしても、それは人類の残り半分である男性を「女性と同じような労働をしながら衣食住を自らの力で確保できない方々」と言っているのと同じではないのだろうか

もし、「結婚をしているから妻が家庭のことはすべてしてくれるから」と考えているのであれば、歳をとり定年等を経て労働をしなくなった夫はその時点で今まで成立していた契約関係が破綻してしまうことをどう考えているのだろうか

熟年離婚をした時、衣食住を確保できる元妻と衣食住を確保できずに労働もしない元夫という状態の中でまだそういう方々は「女子力」と言うのだろうか

「女子力」という言葉を使う男性は働くだけのロボットと化した社会人生活を終えた時、人間としての根底を形成できない彼らは何になるのだろうか

「女子力」という言葉を使う女性は人間としての根底を形成できることを誇っているのだろうか、ロボットと化した人々をどう思っているのだろうか、同じ労働をしながら衣食住の形成まで要求されることに違和感を感じないのだろうか

我々はその謎を解明すべくアマゾンの奥地へと向かった

Twitterで見た

もうこの手の話はネットの海を少し漂えばマッシュヘアの大学生並みにありふれているのは分かっている

私もマッシュヘアにしていたのでよくわかる

電車の中に併設されたマックで外国人の友人とJKと幼い子供とオカマが日本の変なところを彼らが疑問に思っているのを見かけたとかいうツイートに「嘘松」なんてリプが付いているレベルでよく見るテンプレみたいな文章になってしまったと自覚している

けれども、さすがに新卒の新人研修で同期達が「男が家事してるとか恥ずかしくて言えんわ笑」なんて言っているのを見たらぶちまけたくもなる

九州に住んでいるからなのか、九州男児(笑)とかいう文化が未だに存在するからそういう思想になるのかはわからない

たしかに、正月や盆には親戚一同が本家に集まり、男性は飲み食いしながらどんちゃん騒ぎをして女性は台所に立ち洗い物をしながら酒を要求されれば注ぎに行き、つまみを要求されれば作る(台所は台所で女性たちの小言皮肉バトルが行われているのはまた別のお話じゃ…)という文化圏には生きているけれども、せめて私と同じ20代のデジタルネイティブ世代は他の地域の価値観を輸入しながらそういうものに違和感を持っているものだとばかり思っていたのだけれど、案外そういうものではないらしい

男一人の働きで家庭を賄えているわけでもないのになぜそんなことができるのだろうか

価値観の根強さを感じる

おわりに

この記事の中で使っている「女子力」というのは炊事洗濯等の家事ができることを「女子力」と言っている人が使う「女子力」でしかありません