やべは意識が高くなりたい

意識は高く、更新頻度とクオリティと知能は低く

学生時代のただの陰キャは社会に出てもただの陰キャ

吾輩は陰キャである。名前はやべ。 何でも薄暗いじめじめした高専の教室で「Vtuberすこだw」と言っていた事だけは記憶している。 小学校時代にヘタリアに出会い、BL本を読みはじめ、中学時代にAngel Beats!にハマり、西尾維新入間人間の小説や太宰治などの純文学を読み漁り厨二メンヘラを拗らせたりしながら、ボカロ曲ばかりを聴き、16~18歳の間はカゲプロやおそ松さんを嗜み、twiiterで「#アニメ好きはRT」とかやって1日1000ツイートして自慢する。そういうめんどくさいタイプの陰キャであった。 そうやって、私の青春時代は、やたらに声のデカいツッコミと実生活では空気が凍り付く下ネタで構成されたアニメと、病んだやたらに高いピッチと速いテンポの電子音の音楽に費やされていった。 18歳後半あたりからアニメを見なくなった。 ボカロ曲も界隈全体がバブルが終わり、作曲者も入れ替わりが多くて聴かなくなる。 そうすると趣味がなくなったことから自然にツイート数も激減した。多くても100ツイートいかない生活になっていた。 もちろん恋人なんて何年もいなかった。欲しいとは思っていても同時にこんな気持ち悪い奴と付き合う人はいないと分かっていた。

今年、私は社会人になった。 学生時代の級友たちとは離れた場所で働いているため、人間関係はほぼリスタートになった。 焦った私はJ-Popを聴き始める。すこしでも周りの所謂「普通の人」との話題を持たなければいけないと思ったからだ。 けれども、曲の好みが合わない。自分にマッチする音楽を見つけたときは決まって「そこまでメジャーではない」バンドばかりだった。ボカロ曲に青春を費やしてきた自分のセンスはどうあがいても変わらない。J-PopやJ-Rockを聴いても行き着くのはサブカル的な歌手ばかり。

自分は陰キャだった。

そんな折にアニソンバーに出会った。地下アイドルが店員をしていてお酒を飲みながら客と店員がアニメソング、ゲームソング、ボカロ曲などを歌うという、地獄みたいな場所だった。 はじめて入店したときは久しぶりに嗅いだオタク特有の風呂に入らないせいで漂う脂ぎった臭いに感動と安心感さえ感じた。 毎週のように通った。平日に「普通の人」との隔たりを感じながら仕事を行い、休日は自分に似た人たちと話はせずとも同じ空間にいることで疲弊を癒していた。 けれども、そこでも違和感があった。 自分の歌える曲は18歳以前の少し古い曲だけなのだ。陰キャではあってもオタクではもうないのだ。 ポイントカードが10万円分に達してから、私は行くのをやめた。

自分は陰キャだった。

仕事はだいたい残業をして19時頃には終わる。そこから自宅に帰り晩御飯を作り、シャワーを浴び、ベッドに入ってニコニコ動画にあがっているにじさんじの切り抜き動画を見てほんの少しツイートをして眠り、目を覚ませば弁当を詰め朝食を作り、洗濯物を干して忙しなく出社するという毎日を送っていたある日のことだった。 「彼女ができました。」 学生時代の級友のツイートが目に留まった。私はLINEのアイコンやひとこと、Instagramのストーリを確認して実感する。自分は一人取り残されていると。

焦った。なぜ自分には恋人ができないんだと。 心のどこかに環境が変われば自分自身も変わると思っていた部分があった。 学生時代は髪も2,3か月に1回しか切らず、髭も週に1度しか沿っていなかった私だが、社会人になり毎月美容室に行き、毎日髭も剃るようになった。服だってブランドに気を遣うようになった。 なにがダメなんだ。

友人を連れて相席屋に行った。話題がない。共通項がない。自虐ネタを言っても滑る。酒を飲むしかなった。 クラブにも行った。薄暗く重低音が腹に響く中で男女が濃密な絡みをしていた。幸い、流されている曲は全てわかった。普通の人に近づくためにTikTokを見ていたからだ。 よくtwitterではボカロ曲などを指して 「TikTokの曲でしょ知ってる」と一般人が言っていたなんていうツイートがバズっているが、陰キャである私からすれば一般人の曲こそ「TikTokの曲」だった。 跳ねた。踊った。この肌寒くなってきた時期に汗をかきながら。 一人でいる女性に声をかけると体に身をゆだねてきた。けれどもその先はない。 そういう生活を2週間続けた。 朝の5時、クラブが閉店するころには身をゆだねてきた女性とも別々に出ていく。連絡先も聞けなかった。 夜明け前の寒さのなか歩いて家路につきタバコを吸う。 ワンルームの自宅にたどりつけばそのままワックスのついた頭でベッドに突っ伏してこう思う。

自分は陰キャだった。